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利用者不在のスキャン代行訴訟 [時事/評論]

INTERNET WATCHの記事によると,東野圭吾ら作家・漫画家7人が,書籍のスキャン代行業者を相手取り,スキャン行為の差し止めを求める訴えを起こしたそうだ。

私の好きな作家である東野圭吾が,こんな愚かな裁判の原告に名を連ねているのは残念でならないが,日本推理作家協会の理事長を務めているしがらみなどがあるせいだと思いたい。何故なら,理系出身の彼が,USより遙かに立ち遅れている日本の電子出版が,この問題の根源にあることを理解していないとは考えられないし,こんな非論理的な法解釈が成り立つと信じているとも考えにくいからだ。

CDをデジタル・プレイヤーに取り込むのと同様に,所有する著作物を個人的用途において複製(私的複製)することは法律で認められている。したがって,自分の買った本を自分でスキャンして電子データに変換することは,自分で利用する限りにおいて,合法である。その「自分で」というのは,文字通り「自分の手で」やらなければいけないということなのか? そんな訳はないはずだ。知識を持たない者,技術を持たない者,あるいは設備を持たない者は,他人の手を借りてはいけないのか? それこそ,著作物に対して正当な対価を支払った者への理不尽な差別である。ではスキャンの代行を商売にするのがいけないというのか。それもまたナンセンスだ。スキャンを代行するという労働への正当な対価を求めることを禁止する権利は誰にもない。思い上がりも甚だしいというものだ。では,どこに問題があるのか。純粋なスキャン代行については,著作権侵害など存在しない。してはいけないのである。

しかし,別の記事によると,東野圭吾は報道陣からの質問に対して,「『電子書籍を出さないからスキャンするんだ』という業者にはこう言いたい。『売ってないから盗むんだ』,こんな言い分は通らない」と発言したらしい。まったく,アホですな。長い作家生活で,論理的思考回路がすっかり錆び付いてしまったらしい。自分が問題のすり替えを行っていることにすら気が付かないとは。しかたない。私はこの人の作品が好きなのであって,人間が好きな訳ではないのだ。例え軽蔑すべき人間であっても,面白い作品をこれからも書いてくれさえすれば...。

「売ってないから盗むんだ」なんて,誰が言ってると? 読者を馬鹿にしているとしか思えない。スキャン代行の場合,あくまでもスキャンを実行する主体は,書籍を所有している人間だ。それを泥棒扱いするとはクズ以下の人間だろう。お前さん達が問題にしているのは,スキャンして出来た電子データが,不正に配布されることではないのか。ではなぜそちらの行為を裁判に訴えないのか。スキャン・データがなければ配布もされない,という論理に基づいているのかも知れないが,それは「殺人に使われるから,包丁やナイフの製造・販売を禁止するべき」という論理と同じだ。同じ論理を突き詰めれば,元々書籍が出版されなければ,スキャンだってされないのである。それならもう,出版なんてやめてしまえばいいのではないか。自分の著作物がそんなに大事なら,公開しなければいいのだ。出版という形で公開してしまった以上,もはや自分だけのものとして独占することは出来ない。出版することは,権利者に利益をもたらすだけでなく,その著作物が公共物の一部になることを意味する。だからこそ,著作権の保護期間は有限なのだ。

権利者は,著作権侵害の議論で,必ずといっていいほど,不法なデータの流通が著作者に本来入るはずの利益を損ない,それが著作意欲や機会を奪うことで,文化が衰退していく,などと言う。果たしてそうか? 所得が伸びず,物価も停滞している昨今の状況で,何故書籍だけ価格が上がっているのか。ハード・カバーなんて,1800円や2000円なんて当たり前になりつつある。果たして今売られている本の中に,そんな価値のあるものがあるだろうか。原料費や流通費,人件費の高騰を言い訳にしたいのかも知れないが,それではCDの価格がこの20年ほとんど上がっていないのは何故なのか。書籍出版側の努力が足りないだけではないのか。文庫本ですら,600円,700円もすることが,購買意欲を削いでいることに何故目を瞑るのか。

今回の訴訟に名を連ねているのは,所謂売れっ子作家ばかりだ。既に巨万の富を得ているにも関わらず,まだ金が欲しいのか? 銀座の高級クラブで遊ぶ金がまだ必要なのか? 高額所得者に当然期待される,社会的責任を少しでも果たしているのか。震災の復興に一体いくら寄付したのか。

電子出版で出版コストが下がった時に有利になるのは,無名の作家である。極端な話,無料で配布してもコストはかからないし,多くの人の目に触れて,それが面白いと分かれば一気にブレイクする可能性だってある。USにはそういう例が既にいくつかあるくらいだ。しかし,すでにメジャーになっている作家には関係ない。一度名前が売れてしまえば,つまらないものを書いてもそこそこ売れる。人は,面白いものには金を払うが,つまらないものには金を払いたくない。だから,本を買わずに違法に流通しているスキャン・データで済ませてしまうのだ。結局,それでは困る「名前だけ売れてる」作家と,それにおんぶにだっこの出版社が,日本の電子出版への移行を妨げている。つまり,文化を破壊しようとしているのは,こういう連中の方なのである。

この裁判の原告の連中,およびそれを支援している連中には,自分のやっていることをまずは真摯に反省して欲しい。それでも納得できなければ,断筆宣言でも全著作物の回収・出版停止でもすればよい。それでも,世の中が自分の作品を必要としてくれるかどうか。個人的には,そんな価値のある人物がこの中にいるとは思えないが。


被疑者と犯罪者 [時事/評論]

近代柔道 (Judo) 2008年 11月号 [雑誌]
3年前の「近代柔道」の表紙を飾る内柴正人。

12/6に準強姦容疑で逮捕された,柔道五輪金メダリストの内柴正人君。当時あれだけ日本中を感動させたというのに,今や四面楚歌の大バッシングの嵐だ。しかし,こんな状況に誰も疑問を持たないのだろうか。

私は彼を,今の時点で擁護することも批判することもしない。なぜなら,本当に罪を犯したのかどうか,判断する材料を持っていないからだ。逮捕したのは,あくまで警察の判断。現時点では,単なる被疑者(容疑者)であって,犯罪者ではないのだ。「逮捕」というのは,逃亡や証拠隠滅を防止するために,身柄を拘束することである。逮捕状の請求には,「疑うに足りる相当な理由」があればよいだけで,立証されている必要はない。警察はそこから取り調べ等で証拠を固めて,犯罪を立証できると判断したら送検する。その後,検察でさらに取り調べを行い,立件可能と判断したら起訴,裁判ということになる。

注意すべきなのは,例え起訴されたとしても,依然まだ被告人だということだ。有罪という確定判決が出るまでは,犯罪者と決めつけることはできない。勿論,警察が送検を諦めたり,検察で不起訴となる場合だってある。それなのに,何故,逮捕されただけの今の時点で,犯罪者と決めつけたような扱いを受けなければならないのか。

折しも先日,福井女子中学生殺害事件に対して,再審開始の決定がされたばかり。これまで分かってるだけでも,あれほど数多くの冤罪を生み出している検察・警察のやることを,そんなに簡単に信じていいものだろうか。無罪判決を導くかも知れない証拠を,意図的に隠しておくような組織なのだ。仮に,自供したと警察が発表したとしても,それは不当な取り調べの結果かも知れない。もし何も疑問を感じないとすれば,相当なお人好しの馬鹿である。マスコミや国民のするべきことは,検察・警察を盲信することではなく,不適切な手続きが行われないかどうか,しっかり監視することなのだ。そうでなければ,検察・警察のような特権を与えられた組織は,いずれ暴走を始めるだろう。

そして,いくらインタビューに行くマスコミの方が悪いとはいえ,非難するようなコメントを出している関係者も関係者である。何故,「裁判で有罪と決まるまではコメントできない」と言えないのだろう。腐りきったマスコミの術中に嵌まって,馬鹿丸出しだ。こうやってマスコミは,まだ取り調べも始まっていない内から,犯罪者というイメージを固定化させ,間違った世論を作り上げるのである。ただニュースのネタが欲しいだけのために。そして,これまた法治国家の原則を忘れてしまった裁判官どもが,ろくな証拠がなくても,世論に迎合した心証だけで,間違った結論を導き,冤罪を生み出すのだ。恐るべき歪んだ社会。法学者,社会学者ですら,この異常を指摘しないとは,もはや自然治癒を見込めない,末期症状ということなのだろうか。

極めつけは,熊本の県民栄誉賞取り消し。呆れ果てて言葉もない。「逮捕された経緯は重い」って,馬鹿なのか? 「逮捕」が何を意味しているのか,何も分かっていないんだねぇ。地方行政の長たる県知事として不適格なのではなかろうか。しかも,過去に遡って栄誉を剥奪するとは。名誉県民とかならともかく,賞って,その時点までの貢献に対して与えたものでしょ。まったくもってナンセンス。共産主義国家でよくある,失脚した前リーダーの栄誉をすべて剥奪するやり方にも似ている。それなら,この知事が将来不祥事でも起こした暁には,遡って知事だったという記録を抹消して欲しいものだ。それにしても,万が一,事実無根で無罪放免ってなことになったらどう償うつもり?

日本は法治国家である。人は裁判によってのみ裁かれ,裁判は法に則って公正に行われなければならない。私刑は憲法第三十一条で厳に禁じられている。そして,推定無罪の原則。あくまでも,有罪が立証できなければ,無罪なのである。無罪の人が,間違っても不利益を受けるようなことがあってはならない。つまり,有罪が確定するまでは,本来無罪として扱わなければならないのだ。至極単純明快な論理なのだけど,理解できない人が多いのだとしたら全く嘆かわしいことである。


宅配ボックスにお願いします [時事/評論]

先日の事だが,帰宅したら宅配便の不在通知が届いていた。荷物が来るのは分かっていたが,宅配ボックスがあるので,当然そこへ入れてくれるものだと思っていたところ,何故か持ち帰ってしまったようだ。業者は佐川。不在通知には,宅配ボックスを利用できなかった場合の理由をチェックする欄もあるのだが,そこにはチェックせず,ただ「不在でした」の欄にチェック・マークが入っている。一体どういう訳だろう。しかも,当日再配達の受付は18時までで,もう過ぎている。楽天の「あす楽」で,翌日配送されることを期待して注文したものなのに,宅配業者の都合で遅れてはどうにもならない。実際,すぐに必要なものだったのだ。

営業所は21時までやっているようだったので,そちらへ連絡してみた。すると,向こうで配達員に確認したところ,宅配ボックスの使い方が分からなくて入れられなかった,と言っているそうだ。そんな阿呆な話,聞いたことない。他の業者はちゃんと宅配ボックスを使っているし,同じ佐川でもほかの営業所の時はそんなことはなかった。宅配ボックスのメーカーも,結構シェアのあるところだ。無論,そんな馬鹿げた理由では納得できないので,当日中に配達するように依頼した。しばらくして荷物を持ってきた配達員は,見た目40台位のおっさん。最近入ったばかりで良く分からなかったなどと言い訳していたが,説明書きがあったでしょう?,と問うと,あ~今度は見るようにします,だって。開いた口が塞がらないとはこのことだ。しかし,佐川にクレームつけようにも,「宅配ボックスの使い方が分からない」って言われちゃねぇ。一般常識の範疇というか,普通の大人なら対応できるはずのことだし,ちゃんと教育してくださいというのも違うような気がする。困ったものだ。

ところが,それから1週間ほどして,またしても不在通知。しかも佐川の同じ営業所(配達員は別人)。さすがに頭に来たので,ちょっと厳しめに苦情の電話をした。時間も遅かったし,今度は特に急いでいなかったので,翌日,くれぐれも宅配ボックスへ入れるようにと指示。実際に宅配ボックスを入れることを確認したい意図もあったのだが,残念ながら,翌日,まだ家にいる時に再配達に来てしまった。配達員は平謝りだったが,果たして次回から改善されるものなのか,不安は解消されない。こんな調子で,毎度持ち帰られたら堪らないな~。しかし,数日経って,配達されてきた箱の注意書きにふと目が止まった。「宅配ボックス使用不可」と書かれている! う~む。発送元でこんな指定をしていたのか。知らなかった。佐川の配達員が,これを見て宅配ボックスを使わなかったのかは不明。特に何も言っていなかったので,気付いていなかったのかも知れない。悪いことしちゃったかな。とはいえ,こちらは荷物が届くまで,そんな注意書きのことは知らないのだから,説明がなければ文句を言われても仕方がないよねぇ。

こんなこと,クロネコヤマトだったら起こらないだろうに...などと考えていた矢先,今度はクロネコヤマトから不在通知メールが届いた。クロネコメンバーズに登録しているので。佐川も一応何か登録はしてあるのだけど,こういうサービスは提供されていないみたい。しかし,クロネコヤマトでさえ持ち帰ってしまうなんて,最近は,宅配業者全体のサービス品質が低下してしまっているのだろうか。訝しく思いながらも,すぐにWebで再配達の依頼をした。勿論,不在時は宅配ボックスへ入れるように念を押すコメント付き。ただ,若干不安だったので,指定の時間までに帰宅した。ところが,なんと帰ってみると宅配ボックスに荷物が届いているではないか。届いたのは,まさに不在通知に書かれていたのと同じ時刻みたいだ。つまり,宅配ボックスに入れたのに,荷物追跡サービスには持ち帰ったと登録されていたのである。まったく意味不明だったが,ものはちゃんと届いているので,まぁいいか,と思っていたら,暫くして配達員から連絡があり,システムに正しい状況を登録し忘れていたとのこと。どんなシステムなのか知らないが,急いでいる時は面倒になるようなものなんだろうか。せっかくネット上で便利なサービスを提供しているのに,ちゃんと運用できないのでは価値が損なわれますな。これも頻繁に起きるようなら,対応をお願いしないといけないかも知れない。

しかし,こういうことって,続く時は続くものなんだねぇ。ここ7~8年でも,そうはなかったはずなのに。まぁでも,ゆうパックよりはましだけどね。あそこは,事前に書面で登録しておかないと,基本的に宅配ボックスには入れないっていう方針らしいし。顧客の利便性とかサービス向上っていう概念がないみたい。民営化して結構経つのに,未だに役所体質が抜けないようだ。そんなんじゃ,民営化した意味もないと思うのだが。


野呂ウィルス? [時事/評論]

現代社会の脅威!!ノロウイルス―感染症・食中毒事件が証すノロウイルス伝播の実態

旅行の話が続いていたので,別の話題を。

asahi.comの記事によれば,「野呂」という姓の人が,「ノロ・ウィルス」という呼び方を変更するように呼びかけているらしい。

何とも馬鹿げた主張をする人がいるものだが,それはひとまず置いておいて,記事の中のある記述が気になった。「ノーウォーク・ウィルス」を「発音しやすくするために短縮したり」して,「ノロウィルス」になった,というものだ。何故,「ノーウォーク」が「ノロ」に? まさか,「イングリッシュ」が「イギリス」になってしまった如き,日本人的舌足らず発音の賜物なのか? だとしたら,そっちこそ余りに恥ずかしい話だと思って調べてみた。すると,Wikipediaによれば,「ノーウォーク(Norwalk)」の"Nor"と"Virus"を,ラテン語の連結形"o"で連結して,"Norovirus"としたそうだ。な~んだ。「発音しやすく」なんて,何も関係ないじゃん。「ノロウィルス」は立派な正式名称なのだ。asahi.comも相変わらず質の悪い記事を載せてるねぇ。記者はちゃんと調べて書いたんだろうか。やっぱり,記事を載せるからには,記名で内容に責任を持つべきだ。

という訳で,「ノロウィルス」を「ノロウィルス」と呼ぶのは,ごく当たり前のこと。いちゃもんをつけられる筋合いは全くない。「属」で呼ぶか「種」で呼ぶかなんて,業界の慣例や状況によるのだろうから,部外者が「種」で呼ぶべき,なんて口出しするのはおこがましいというもの。

そもそも,ウィルスの名前と発音が同じだからと言って,「嫌な思いをする」などという考え方自体が間違っているということに気付いて欲しい。もし,そんな理由で他人をからかったり,いじめたりする子供がいるのだとしたら,そちらの方がよっぽど問題だし,そういう子供達を育て,放置している社会そのものが恥ずべきものなのだ。そして,そんな社会を作り上げて来たのは,紛れもない大人達なのである。からかう子供には,人の厭がることをしてはいけないと教え諭し,からかわれる子供には,そんな下らないことを気に病むのが如何に馬鹿げたことかを,根気よく言って聞かせる...というのこそ,理性ある大人の役割であり,責任なのではないか。間違っていることの方を正そうとせず,無関係のものに言いがかりをつけるなんて行為こそ,決して子供に真似して欲しくないことだ。

大体,病気とかウィルスとか,発見した人の功績を讃えて,その人の名前に因んだ名前をつけるなんてこと,至極当たり前のように行われているんじゃないのか? そして,それは本来名誉なことである。発見者からしたら,人類の健康に寄与するべく研究に取り組み,成果を上げたのに,感謝されるどころかいちゃもんをつけられるなんて,それこそ心外だろう。仮に,ノロウィルスを発見したのが野呂さんという人で,それに因んで「野呂ウィルス」だとしたらどうする? 野呂さんを讃えるのではなく,子供がいじめられるから,名前を変えてくれって言うのだろうか。貧しく,自己中心的な発想と言わざるを得ない。そんなものが,到底世界に認められるはずがないし,認められるべきではない。愚かで悪しき前例を作らないためにも,こんな馬鹿馬鹿しい要望が通らないように願うばかりである。そうでないと,同じ日本人として恥ずかしすぎる。

日本人は,訳の分からない語呂合わせやら,ダジャレやらが好きな人種だからねぇ。「29日」を「にくの日」とか,「11月22日」を「いいふうふの日」とか言ってる分には害もないが,人の名前をもじって貶めるようなことも,TV等でいい大人が年がら年中やってる。「ノロウィルス」なんてウィルスが存在しようがしまいが,子供達にとって,からかうネタなんてそこら中にゴロゴロ転がってる訳で...。


ガッツポーズは侮辱的行為なのか [時事/評論]

楽天の田中将大投手が,日本ハムのダルビッシュ投手を僅差で抑えて,沢村賞に選出されたそうだ。今年の2人は甲乙付けがたい成績だったし,どちらかを選ぶというのは難しかっただろうね。何も1人に絞る必要もないと思うのだが。そもそも,選考委員会なんて必要なんだろうか。いくつか明示的な基準があるのだから,それに則って,ある基準をクリアした上で,ポイントが上位の者を自動的に選出すればよいだけなのでは? それなら,僅差で負けても,不満などは出ないだろうに。

それはともかく,沢村賞選考委員会は,この2人に,マウンド上で吠えたりガッツポーズをするのを控えるように注文をつけたそうだ。バカじゃないの? いかにも年寄りの考えそうなことだが,まったく時代錯誤も甚だしい。派手なガッツポーズが試合を盛り上げていることが理解できないのだろうか。投手戦なんて,見た目派手さがない試合が,それでどれだけ救われていることか。それでなくてもプロ野球人気は下降の一途だというのに。こういうパフォーマンスをファンは喜んでいるのである。こういう輩は,すぐ「品位が」とか言い出すが,そもそも「品位」とは何か理解できているのか。何かの選考委員なんてのをやってるプロ野球OBに限って,尊大で品位の欠けているのが多いような気がするのは,気のせいか? 自分たちのやってきたプロ野球を神聖視したいのかも知れないが,所詮ただのエンターテインメントだ。客を喜ばせてなんぼの商売である。その辺が何も分かっていないと見える。

何故サッカーの応援が盛り上がるのか。サッカーなんて,素人が見たら,だだっぴろいコートを行ったり来たりするだけで,滅多に点も入らず,見せ場の少ない退屈なスポーツだ。だからこそ,少ない見せ場で見せるパフォーマンスが,会場を盛り上げるのではないか。

プロ野球は,勝負を競う姿を見せる商売だ。いずれもプロだから,技術力はトップ・レベルで拮抗している(はず)。となれば,あとは精神力や気迫で如何に相手を凌駕するかという世界。吠えたりガッツポーズしたり,というのはその自然な発露である。だからこそ,客はそれを楽しむ。勿論,気迫をどう見せるかは,選手のパーソナリティによって異なるだろうが,それはそれでいい。問題は,型に嵌めようとする硬直化した考え方だ。

吠えるのは打者を侮辱する行為か? 人格を侮辱するのは問題だが,自分が勝ったこと,技術が上だったことを吠えるのに,何の問題があるのか。相手を挑発する行為? いいではないか。勝負を競っているのだから,お互い挑発し合えばよいのだ。それが更なる技術力の向上へのモティベーションとなるのだ。ドラゴンズの落合が,小田の「やりましたー!!」に注文を付けたという話もあったが,チームの戦略として,相手に無闇に挑発するのは得策ではない,というのなら分かるとしても,品位だなんだを持ち出すなら,やはり間違いである。どう言い方を変えようが,負けた方が負けたのは事実であり,その悔しさを次の試合にぶつけて,よりレベルの高いプレーを見せてくれれば,それがベストではないか。

少年野球の選手が真似をする,とか言っているみたいだが,何が悪いのか。勿論,形だけ真似るのは意味がないし,侮辱的な言葉を吐かないかは,指導者が注意するべき点ではある。しかし,気迫を見せるのはよいことだ。恐らく,どこかの馬鹿な親からクレームが上がっているのかも知れないが,勘違いも甚だしい。スポーツは「行儀よく」やるものではない。少年のスポーツであっても,それは勝負を競うものだ。日本人はどうも,少年野球や学生野球に幻想を抱きすぎである。年がら年中,どこかの野球部の生徒が,下級生いびり,暴力,喫煙,飲酒,...等々で問題を起こしているにも関わらず。都合の悪いものは見て見ぬふりをする,まったくおめでたい人種である。

新しい考え方を受け入れられない硬直化した頭の老人は,いい加減口を噤むべきだ。いい年こいて,若い人が頑張っているのに,水を差すものじゃない。プロ野球は,プレーしている選手たちと,ファンのものだ。子供が真似をして本当に困るのは,自チームが負けた時にガッツポーズを出したり,ドラフトで希望球団以外は嫌だと駄々をこねたり,負けたのを選手にせいにする監督のコメントじゃないのかね。


広告で支配される報道 [時事/評論]

オリンパス疑惑の件。昼に行われた社長の会見を受けて,ようやく日本のメディアも大騒ぎし始めたようだ。巨悪を暴く,みたいなこと言って各局特集を組んだりしているが,これまで口を噤んできていたことについて,後ろめたさとか,恥とかいう感覚はないのだろうか。とんだ腰抜けどもである。大事になるか分からない時点では息を潜めていて,いざ明らかになると,掌を返したように寄って集って叩きまくる。「強きを助け,弱きを挫く」という,本来の役割とはまったく正反対の構図だ。哀しいかな,これが今の日本のメディアの本質である。

いい加減,メディアが広告収入に頼る体質を改めるべきだろう。そもそも,なぜ新聞社の株式が非上場なのかを,忘れてしまっているようだ。株式で支配される代わりに,広告で支配されるのでは何も変わらないではないか。広告を載せるなとは言わないが,今のように営業して回ってまで広告を「載せてもらう」なんてことを止めるべきである。広告を「載せてやる」くらいの立場で丁度よい。報道内容への制裁として,特定の新聞社にだけ広告を出さないような対応をする企業には,新聞社が連携して,一切の新聞広告から閉め出してやれば良い。

役所に対しても同様だ。リークやスキャンダルを報道した社に対して,記者発表から締め出そうとする役所があったら,全社で連携してボイコットすれば良い。記者の来ない記者発表なんて有り得ないのだから。そして,締め出しをしたことを,国民に知ろしめれば良い。本来,役所が報道をコントロールするなんてことは言語道断なのである。報道の独立ということについて,尊大にも見えるくらいのプライドを,メディアは持っていい。いや,持つべきだ。勿論,その分,自分たちの報道内容にはしっかり責任を持たなければならないが。

一流の新聞社ともなれば,給料も高いのだろうが,その高給が何を犠牲にして成り立っているのかを考えて欲しい。もし,報道本来の役割を犠牲にしているのだとすれば,そんな報道機関は無用なのである。

それにしても,オリンパスの対応も,相変わらず温いですな。三悪の内,監査役は辞任したのに,元副社長の森は,平取締役への降格のみ。諸悪の根源である菊川は,既に平取なのでそのままとか。馬鹿ですか? っていうか,世間を馬鹿にしているのか? 不正をした人物が特定できているのにも関わらず,社内の機密情報にアクセスできるポジションに留めるなんて,狂気の沙汰としか思えない。もはやこのままで済む訳もないのに,往生際が悪すぎる。

いずれにしても,当局にはきっちり調査してもらって,相応の厳罰を下して欲しいものである。「悪質だと判明したら」とか寝ぼけたことを言っているみたいだが,悪質に決まっているだろう。明らかな粉飾決算である。法の下の平等の観点で言えば,ライブドア事件に鑑みて,当然懲役・実刑なんだろうねぇ。


タイの洪水とHDDの高騰 [時事/評論]

Western Digital Caviar Green 3.5inch 5400rpm 2.0TB 64MB SATA 6.0Gbps WD20EARX
価格高騰中のHDD,WD20EARX。最安の時の3倍に迫る勢いだ。

ハードディスク(HDD)の価格がとんでもないことになっている。一時期5千円を割る勢いだった,Western Digitalの2TBのHDD,WD20EARXは,現在約1万6千円で販売しているところもあるほどに。というより,そもそも在庫を確保するのも大変な状況みたい。私は,価格が上昇し始めた頃に,約6500円で1台予備を確保したのだが,まさかこれほど急騰するとは思わなかった。もう1台くらい買っておけば良かったか。

原因は,ご存じのようにタイの洪水である。なんでHDDの工場って,タイに集中しているんだろう。WDだけじゃなくて,Seagateも影響を受けているみたいだし。HDDはコンピュータの主要部品なので,これからPCの販売量や価格にも大きな影響がありそうだ。年末商戦も控えているのに,大変ですな。一番効率の良いところで生産するのが,世界のフラット化の流れでは当たり前なのだろうけど,ひとつの地域に集中させてしまうと,こういう事態になりかねないということだ。

しかし,その一方で,タイの洪水の状況が今ひとつ分からない。新聞等でも,経済への影響に関するものばかりで,被害に関する情報が少ない。バンコクはそこら中浸水しているみたいで,水の中をジャブジャブ歩いたり,ボートで移動して生活している映像を見たのだが,不便ながらも自宅で生活はできているということなのだろうか。日本で洪水というと,家が流されたり,自宅には住めなくて高台の避難所で生活することになったり,というイメージが強いのだけど。

日本は古くからタイとは親交が深いし,東電の電力不足の際には,ガスタービン発電機の無償貸与などの支援も受けている。こういう時こそ積極的に支援をしないといけないと思うのだけど,メディアの報道も含めて,今ひとつそういう動きが鈍いように感じる。今日のニュースでは,ようやく日本政府が排水ポンプ車10台の派遣を決めたらしい。10台でどの程度効果があるのか分からないが,輸送の問題もあるだろうし,取り敢えず何もしないよりよいかなと。民間の募金とかの動きはどうなんだろう。日本の大震災への支援に対するお礼広告なんかのために寄付するくらいなら,こういう時こそ盛り上がるべきじゃないだろうかね。

因みに,今検索してみたら,楽天で「楽天クラッチ募金」というのをやっている。楽天って会社は,トップからして胡散臭くて嫌いなのだけど,簡単に募金できるという意味では便利そうだ。

未だに浸水地域が拡大しているみたいな中,どういう対策が有効なのかよく分からないけれども,一日も早く復興して欲しいものである。


自転車は車道で [時事/評論]

asahi.comの記事によれば,警察庁が自転車の歩道通行を制限することにしたらしい。

まぁ,いいことですな。マナーに気を付けて乗っている,ごく一部の人達にはとばっちりかも知れないけど,最近は以前にも増して酷すぎるものねぇ。傘差してとか,携帯電話で話しながらとか,非常識にも程があるというものだ。歩道を走る自転車は,歩行者にとってある意味自動車以上に危険な凶器である。道路交通法の知識もろくにないまま自転車に乗っている人間を放置しているのは,正気の沙汰とは思えない。子供だって例外ではない。子供ほど無茶な運転をするものだ。猛スピードで人の間を擦り抜けていく自転車にひやっとした経験のある人は多いだろう。事故が起こってからでは遅いのだ。自転車はもっと厳しく取り締まられるべきなのである。

とはいえ,どこまで本気で取り締まる気があるのか,がポイントですな。一時的に厳しく取り締まったところで,継続性がなければ元の木阿弥だ。運転中の携帯電話だって,今では全然珍しくない。運転中に手に持って話しをするだけでアウトなはずなのに,真剣に取り締まらないから,有名無実化してしまっているのだ。中途半端なスピード違反より,よっぽど危険だと思うのだが。つ~か,このての馬鹿は,取り返しの付かない事故でも起こさない限り,その危険性を理解できないのだろう。そんなヤツのせいで命を奪われる側にしてみたら,堪ったものではない。問答無用で危険運転致死罪を適用するようにすれば,とも思うが,端から危険性を認識していない人間には,予防効果は薄そうだ。

それから,歩行喫煙禁止条例。これも,たまにキャンペーンやってる時くらいしか効果は上がっていないのでは。火の付いたものを無造作に振り回しながら歩くことが,どれだけ他人にとって危険なことかが分からないとは,愚かの極みである。しつこいようだが,事故が起きてからでは遅いのだ。こんな愚かな人間のせいで,怪我を負わされる側は泣くに泣けない。謝罪や金,刑罰では償えないものだってあるのだ。

ま,自転車なら,まじめにやれば次から次へと違反が見つかるだろうから,警察もノルマの消化にもってこいなんじゃない? ノルマは,是非,自動車・自転車一本化でお願いしたい。どう見ても危険性の薄い場所で,一時停止義務違反とか右折禁止違反を捕まえる網を張るより,よっぽと健全だしね。


プードルのような... [時事/評論]

トイ・プードル 飼い方・しつけ・お手入れ
「トイ・プードル 飼い方・しつけ・お手入れ」

渦中のオリンパスは,菊川剛が代表権のない取締役に降格し,社長を交代した。しかし,そんなことで事態が好転すると,ほんの少しでも期待しているのだとしたら,相当の愚か者揃いである。そもそも,不正を指摘した元社長は即解任で,不正を働いていた疑惑のある菊川が,なぜ降格だけで済まされるのか。新社長の高山修一は菊川の子飼いだという噂だし,ほとぼりが冷めてから復権する気満々ってことだろう。っていうか,これだけの不祥事で復権できる気でいるとは,世の中を甘く見すぎではないか? 長いこと独裁者として君臨してきた人間は,なんでも自分の思う通りになると勘違いをしてしまうんだろうね。

呆れ果てるのは,事件が発覚した後,菊川名で社内Webサイトに掲載されたという,元英国人社長を貶めるメモ。こんなものを公式に社内に発信できる非常識な企業文化と,醜悪な人間性。しかし,これがオリンパスという会社の実態なのだろう。8月末に控訴審判決で敗訴し,現在会社側が上告中の「コンプライアンス裁判」もそうだ。上司の業務上の不正を,社内のコンプライアンス通報窓口に通報したら,別の部署に異動を命じられ,人事部などから嫌がらせを受けたという事件である。結局,この会社はコンプライアンスとか企業統治の意味をまったく理解できていないのだろう。こんな会社が国際企業とは,日本の恥以外の何ものでもない。

USではFBIが動き出したという話もあるし,さすがに日本でも,国会で追及していく方向のようだ。是非とも,徹底的に究明して欲しいものだ。時代錯誤で愚かな経営者を,1人でも多く日本から駆逐するために。

ところで,このオリンパスの不祥事,日経の翻訳記事で最初に読んだのだが,この中に妙な表現があった。

プードルのような取締役会はきちんとチェックしなかったようだ

という部分。「プードルのような」ってどういう意味? プードルといったら犬である。ということは,犬のように従順っていう意味だろうか。

そこで,英語版Wikipediaで調べたところ,ちゃんと載っていた。「政治的な意味での侮辱的表現」だそうで,リーダーに従順で受け身な政治家を評してこう形容するのだそうだ。まぁ予想通りではあるが,いずれにしても,日本では一般的な表現ではない。意訳してしまっては,オリジナルのニュアンスを損ねてしまうだろうが,訳注くらい付けておかないと,翻訳記事としては不十分ですな。

報道の記者っていうのは,取材はともかく,本来人に伝えるために文章を書くプロのはずなのだが,最近は日本語力の不足したやつが多いようだ。編集部にだってチェックする人間はいるだろうに,チェックする人間も日本語力が不足して来ているのだろう。これでは後進を指導する事も出来ないし,レベルの低下に歯止めがかからない。どこの業界でも似たようなことはある訳だけど,どうにもならないんだろうか。

因みに,本家Financial Times紙の記事はこちら。4番目のパラグラフの真ん中辺りにある,"a poodle-like board"と書かれているのがそれだ。これでいくと,新社長の高山は,差し詰め「プードル」一味の1人ってところですな。


疑惑のオリンパス [時事/評論]

ビジュアル 株式会社の基本 (日経文庫)

なんだか,オリンパスがとんでもないことになってますな。英国人の元社長を解任したことから発覚した疑惑の数々。本業とは特に関係のない会社を,異常な高額で買収しただけでなく,その際の手数料を慣行よりも遙かに高く,怪しげなペーパー会社に支払った,などなど。英Finacial Times紙はじめ,海外の様々なメディアで報道されていることから,不可思議な買収が過去に行われたことはまず間違いないし,大株主や東証からの要求に応じて,実際に一部事実を認めている模様。

これって,極めて重大な問題だと思うのだけど,日本の一般紙ではほとんどまともに扱われていない。その理由として考えられるのは,オリンパスが各紙の重要な広告主のひとつだから,というもの。そんな馬鹿なことってあるか? 新聞・報道とは一体何なのか。公正とか正義なんてものがとっくに失われていることは分かっているが,こうあからさまにスポンサーを特別扱いする姿勢を見せられては,もはや新聞に公共的な価値などない。ただの利益追求型の一般民間企業である。「社会の公器」なんて言葉を金輪際使って欲しくないし,報道の権利を振りかざすのもやめて欲しい。寧ろ,そういった既存の特権を,すべて剥奪すべきである。

大手新聞各紙は,この夏頃からこぞって,電子版の有料化を始めている。しかし,そもそもこの手の新聞に,金を払う価値などあるだろうか。掲載される記事のほとんどは,記者発表されたものそのまま。記者会見での質問だって,事前に調整されたような当たり障りのないものか,頓珍漢なものばかりだし,特に突っ込んだ取材結果が掲載されることはほとんどない。独自の主義主張も皆無で横並び。その上,大スポンサーたる大企業の不正はできるだけ報道しない。こんなもののどこに価値があるというのか。これなら,記者会見なんて閉鎖的な仕組みをすべて廃止して,Webで直接情報を公表すれば良いだけだ。役に立たないものが廃れていくのは世の常である。

オリンパスの話に戻ると,この不可解な買収劇が行われた背景が,過去の粉飾決算の辻褄を合わせるためのもの,という指摘があり,個人的にはもっとも説得力を感じた。会社に明らかに巨額の損失をもたらすはずの取引の動機なんて,経営陣が私腹を肥やそうとしているか,不正を隠そうとしているかのどちらかしか考えつかない。私腹を肥やすにはあまりに露骨で巨額だしね。しかし,もしそれが真相だとすると,ライブドアの粉飾決算どころではない,社会的にも重大な不正であり,日本の恥である。ライブドアをあれだけ執拗に叩いたくせに,オリンパスに対して見て見ぬ振りとは,あきれてものも言えない。やっぱり,あれはただの弱いものいじめだったってことか。

もっとも,法の番人たる裁判官すら,公正と正義の意味を忘れてしまっているようなこの国では,一私企業にそんなことを求めるのは,どだい無理なのかも知れない。

とはいえ,海外でこれだけ騒がれてしまった上に,ハリス・アソシエイツやサウスイースタン・アセットといったUSのFundが株式の9%を握っている状況で,オリンパスのような国際企業の重大な不正が,うやむやで済まされることはないだろう。いい加減,一部の有力な経営者が会社を私物化するという,悪しき伝統ともいえる日本的経営が,世の中に通用しなくなっていることに気付くべきである。「株式会社」という仕組みの基本すら理解できないで,資本主義だの国際化だの語るのは,片腹痛い限りである。