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「演劇入門」 [本]

演劇入門 (講談社現代新書)
平田オリザ著「演劇入門」(講談社現代新書)

平田オリザ著「演劇入門」を読んだ。

実は先日,友人の出演する舞台を観劇したのである。30数年前に,劇団四季の「アプローズ」を観たくらいしか,観劇の経験はない。興味がなかった訳ではないが,演劇は何かディープな感じがして近寄りがたいというか,素人がカジュアルに観るようなものではないと思っていた。一方で,映画やドラマの中で時折登場する,小さな劇場で催される演劇は,そのアングラ的な感じが魅力でもあった。自分に理解出来るのかどうか分からないけれども,観てみたい気がする。でも,そもそも何を観たらよいのかも分からない。そんな訳で,友人が出演する舞台というのは,私にとってこれ以上ない切っ掛けだったのである。

しかし,実際に舞台を観た後でその友人に会った時,感想を表す言葉が出て来なかった。それは勿論,何も感じなかったからではない。何か,様々な複雑な感情が入り交じったようなものが,湧き上がるというか,押し寄せるというか,そういう感覚は確かにあるのだが,それを言葉にすることが出来ない。それは私の語彙の貧困さによるものもあるだろう。とにかく,言葉が出て来ないので,ただ「凄かった」としか言えなかった。

そんなことがあって,そもそも演劇とは,どう観るのが正しいのだろう,という疑問に突き当たったのである。同じような話だが,最近,久し振りに「純文学」に分類される小説を読んで,途方に暮れたことがあった。この小説は,一体何のために書かれたのだろう。小説とはそもそも何なんだろう。例えば芥川賞に選ばれる作品は,どこをどう評価されているのだろう。小説とはどう読むべきなんだろう。この歳に至って,かなり基本的なところに立ち戻った疑問に悩んでいたのである。

そんな折りに,たまたま手にしたのが「演劇入門」である。演劇には無縁だったので,平田オリザ氏がどういう人物かも知らないが,どこかで名前を見た記憶があるので,有名な人なんだろう。といった程度の認識であった。が,タイトルの「入門」というところに惹かれた。ただしこの本は,演劇を観るための入門書ではない。全く逆の立場である,演劇を作る,つまり,戯曲を書くための入門書である。とは言え,作品を理解するということは,作者の意図を理解することであり,演劇がどうやって作られるのかを知ることは,重要なヒントとなるはずだ。

読み終えて,疑問が氷解した訳ではない。まだ咀嚼し切れていないというか,腹に落ちていない部分はある。が,なかなか興味深いことがたくさん書かれていた。まず,演劇を書くに当たって,テーマを先に考えてはいけない,ということ。これが,未だに消化し切れていない最大のポイントである。テーマというのは,作者の伝えたいことではないのだろうか。テーマがないのなら,作者はなぜ演劇を書くのだろう。ただ,平田氏はテーマが不要と言っている訳ではないと言う。では,先にテーマがなくて,何が演劇を書くモティベーションなのだろう。これに関して,平田氏曰く,「伝えたいことなど何もない。でも表現したいことは山ほどあるのだ」そうだ。表現したいことと,伝えたいことは別なのだろうか。ますます難解である。

私のような素人には,演劇とドラマや映画との根本的な違いもちゃんと認識できていなかった。言われてみればその通りなのだが,演劇は役者の台詞だけで成り立っている。ドラマや映画のような,説明的なナレーションは基本的にない。だから,台詞だけで必要な情報を観客に伝えなければならない。不自然な台詞で,無理矢理伝えようとすると,違和感を催させる。それはよく理解出来る。そしてさらに,映像であるドラマや映画と違って,舞台の切り替えが頻繁には出来ない。固定した舞台設定の中の会話や動きだけで,表現しなければいけないのである。そこで,会話とはどういうものなのかという分析が重要になる。

例えば,家族や友人などの間で,お互いによく知っていることについて話す時,人は共通に知っていることを言葉にはしないという。確かにそうだろう。だから,当人達の間で当たり前のはずのことを,台詞で喋られると,不自然な感じがするのである。こんな分析のことは知らなくても,人は感覚的にそれが分かっているということだ。したがって,家族や友人の間の会話では,観客に情報を伝えることが出来ないのである。そこで,共通知識を持たない外部の人間を登場させ,「対話」をさせることで,自然に観客に情報を伝えるのだそうだ。この,「会話」と「対話」の違いについても,日本固有の歴史的な状況と絡めて説明されていて,とても興味深い。

結局,演劇とは何なのか。それを理解するヒントになりそうなのは,平田氏の言葉で言う「コンテキストの擦り合わせ」だ。演劇は作者が書く訳だが,演じるのは役者である。同じ言葉であっても,使う人間によって,認識や解釈が異なる。その違いを生むのが「コンテキスト」だ。コンテキストが違うと,同じ言葉を発しても,違った感じになってしまうそうだ。作者や演出家が伝えたい言葉は,作者や演出家のコンテキストのものなので,役者にそれを理解して演じてもらわなければならない。ただし,一方的に作者側に引き寄せるのは簡単ではないし軋轢も生じるので,役者自身のコンテキストも考慮して,上手く折り合いを付けていく必要がある。これを「コンテキストの擦り合わせ」と言っている。さらに,舞台で発せられた言葉は,観客に意図した通りに伝わって欲しい。ここで,観客との間の「コンテキストの擦り合わせ」が行われる。観客と舞台の間には,双方向のコミュニケーションはないので,擦り合わせはそう簡単ではない。いずれにしても,演劇の作者は,自分と観客のコンテキストとの擦り合わせを意図して,戯曲を書く。つまり,演劇とは,作者の感じたことを,観客にも出来るだけ同じように感じてもらいたいために作られる,という事なのだろうか。

感じたことを伝える手段なら,文章で表現してもよい訳だ。しかし,敢えて演劇という手段を取ると言うことは,文章では表現しきれない,という事なのかも知れない。作者が言葉で表現しきれないものを,受け取った側が簡単に言葉に出来るはずはないのかも知れない。だとすれば,今回の観劇で感じたことを,私が言葉で表せなかったことは,あながち能力不足というだけではなかったのかも知れない。

今後も友人の舞台を観る機会はあるだろう。この本を読んだことで,演劇の理解が深まったかどうかは分からないが,見方は少し変わるような気がする。それが正しい見方なのかも確信はないが,何かを読み取ろうと構えるよりは,素直に感じるというところから始めるのが良さそうな気がしてきた。そうして回を重ねる内,少しずつ分かってくるものなのかも知れない。


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