So-net無料ブログ作成
検索選択

フィクションと片付けられない「悪の経典」の世界 [本]

悪の教典 上 (文春文庫)
貴志祐介著「悪の経典」(文春文庫)

ネタバレ注意。

映画化されたと言うことで,名前だけはよく耳に入ってきていた「悪の経典」という小説。タイトルが興味深かったので,あらすじを調べてみると,教師がクラスの生徒を皆殺しにする話らしい。また,「バトル・ロワイヤル」のような,架空の世界のバイオレンスものだろうか。殺人が行われているところを,延々と描写しているような作品には興味がない。それが,書店で見掛けてつい手に取り,少し立ち読みしてみたところ,どうも印象が違う。途中でやめてもいいか,というつもりで文庫の上巻だけ購入して読み始めたところ,通勤の一往復ですぐに読み切ってしまった。

内容は,生徒に絶大な人気を誇る高校教師が,実は自分の目的のためには,人を殺すことを何とも思わない異常人格で,実際にその恐るべき犯行の様子が描かれているお話。想像していたような虚構の設定ではなく,冒頭からいきなり皆殺しが始まる訳でもない。主人公(?)はただの異常者ではなく,心理学を初めとして,様々な分野の幅広い知識を持ち,人心掌握術や問題解決能力に長けた,スーパー教師。いや,普通にやれば,どの世界でも大成功間違いなしと思われる,優秀な人物なのである。そんな人物が,自分に都合が悪い人を,能力を駆使して次々と排除して行く。排除される側にもいろいろ問題があったりするので,一方的に悪人とは感じられない。犯罪者を主人公にする場合は,読者の犯罪者への共感を誘うことが必須だと思うので,それが著者の狙いなのかも知れない。

慌てて下巻も購入し,続きを読んだのだが,こちらは中盤から,単なる大量殺人の実況中継になってしまった。それまで緻密に計画を立てて犯罪を遂行していた主人公が,いきなり大雑把になってしまったところには,大いに違和感を感じた。もっとも,これがなければ,物語全体としてだいぶ地味になってしまったのだろうけど。個人的には,生徒を殺して回る部分のストーリーには,なんの魅力も感じなかった。最後,いよいよ真相が明らかになり,警察に逮捕されて一件落着...と思いきや,犯人の口から発せられた言葉に驚いた。なるほど,そう来たか。

ここに至って,この作品は,単なるバイオレンス小説ではないと認識した。犯罪者の精神状況による責任能力の回避については,過去にも多くの作品のテーマになっているので,特に目新しいものではない。しかし,これだけの凶悪犯罪を犯してもなお,責任能力がないと判断されれば,刑を免れる可能性があること。それを正義と人権の名の下に,全力を挙げて勝ち取ろうという弁護団の存在。両親を殺された(実際は自分で殺しているのだが)不幸な生い立ちに対する世間の同情。こうしたこと全てが,妙にリアリティに富んでいる。少し知恵の回る人間なら,精神鑑定を騙すことは,それほど難しくないと聞く。この主人公ほどに優秀な人間はそうはいないかも知れないが,部分的であれば同じように立ち回れる人間も少なくないことだろう。そう考えると,恐ろしい気がする。

人の心は外からは決して見えない。言葉は偽れるし,精神鑑定も絶対的に信頼できる手段ではない。罪を本当に反省しているかどうか,神でもない裁判官などに分かるはずがない。そんな危ういものに,善良な市民の安全が依存しているのである。犯罪者に対してまで,性善説を信じることは,果たして正しいのだろうか。悪人からしてみれば,善良で信じやすい人ほど手玉に取りやすい相手はないのではないか。

余談ではあるが,優秀な人間の割には,殺人の手口の詰めが甘いというか,完全犯罪にはほど遠い印象ではある。そのせいで,過去に別の高校で起きた生徒の連続自殺について,警察がこの教師の関与を疑がったにも関わらず,証拠が見つからなかった,という点に今ひとつ説得力がない。この辺は,本業がミステリーでない著者には荷が重かったのかも知れない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。